7日の火曜日でした。朝、メールをチェックしていたら、ケニー・ワーナーから「ライヴに来ないか」との誘いが届いていました。その日と翌日に丸の内の「コットン・クラブ」に出ているからとのことで、水曜日のセカンド・ショウを観せてもらいました。
今回の来日はデンマークの名ドラマー、アレックス・リールがリーダーで、そこにケニーとフランス人ベーシストのピエール・ボサーゲが加わったものです。ただし、ステージでは3人がそれぞれに自分がやりたい曲を交代で紹介しながら演奏していくスタイルだったので、3者が対等のトリオという感じでした。
ケニーとは久しぶりです。ぼくはすっかり忘れていましたが10何年か前に彼がトゥーツ・シールマンスのグループで来たときに、どこかの楽屋で会ったのが最後です。そのときのことをやけに彼は明瞭に覚えていて、こんな話をしたとか、あのときに話したあれはどうなった? とか、まるで少し前に会ったときの話でもしている感じで、デジャヴーとは違いますが妙な感覚を覚えました。
ケニーと知り合ったのはピーター・アースキンの紹介です。ピーターのアルバムをプロデュースしたときに、どうしても共演したいと推薦してくれたのがケニーでした。その前から彼のピアノが気に入っていたので、ぼくに反対する理由はありません。
それで、その後に何度も会って、今度は違うレコード会社からケニーのリーダー作をプロデュースすることになりました。たまたま誰かのグループで原宿にあった「キーストン・コーナー」に出ていた彼と、最初の打ち合わせをしたことを覚えています。そのときは、休憩時間に竹下通りのお寿司屋さんで、お互いのアイディアを交換しました。
ケニーもぼくもやりたいことがいろいろあったので、そのときはコンセプトがまとまらず、後日ニューヨークで再度煮詰めようと話して別れたことを覚えています。ぼくとしては、スタンダードやありきたりの曲を録音するような作品は作りたくありません。ケニーの作曲の才能にも敬服していたので、全曲オリジナルが最低条件です。それと芯の通ったコンセプトも必要です。
ニューヨークではいろいろな話をしてもらいました。そして、彼が現代の絵画に強い関心を持っていることに気がつきました。それで、現代絵画にヒントを得て曲を書いてもらうことに決め、ケニーにはほぼ1ヶ月、ほとんどの仕事を断り、作曲に没頭してもらいました。
その間に、彼は近代美術館やホイットニー美術館などに足を運び、図書館にも行って美術書をチェックしています。そうして創作意欲を高めて書いた曲に、それでもプロデューサーとして駄目だしをしたり、それはそれで彼の熱意がわかっているだけに、こちらもつらい気分を何度か味わいました。
しかし、お陰で素晴らしい作品ができたと思います。『ペインティングス』という作品ですが、売れ行きはそれほどじゃなかったです。そこが残念だし、ケニーには申し訳なく思っています。しかし、ピアノ・トリオを核に、曲によってトランペット、ヴァイオリン、チェロ、パーカッション、ヴォーカルなども加えた演奏は、いま聴いても素晴らしいと満足しています。
そのアルバムを、ケニーはいまも誇りに思ってくれていました。メンバーにもその作品のことや、この日はぼくが来ることも話していたみたいです。
「彼がわたしの最高傑作を作ってくれたプロデューサーだよ」と紹介してくれたんですが、メンバーのふたりもしたり顔で、お決まりの文句ですが「今度はわたしのアルバムもプロデュースしてね」みたいな言葉で挨拶が返ってきました。お世辞とわかっていても、光栄なことです。
このブログにも書いていますが、最近は古い友人や知人と再会する機会が増えています。これもすべて自分が不義理をしているせいですが、嬉しいのは会ったとたん、すぐに昔の状態に戻れることです。長い空白期間が、まるでなかったようにいっきに埋まる瞬間って、それはそれでぞくぞくする体験です。そして、そのあとで互いにその間の話をしながら空白を埋めていく時間も楽しいことこの上ないですね。
ぼくはどうも引っ込み思案なので、自分からはなかなか「会いたい」と言い出せません。でも、ケニーの誘いは本当に嬉しかったです。この嬉しい気持ちを忘れないようにして、これからは自分からも少しは昔の友人に声をかけようかと思います。あと、どれくらい元気でいられるかわからないですし、ね。