昨日は実家がある上野毛のレストランで、昔からの友人とお昼ご飯を一緒にして、そのあとは自由が丘に行ってきました。
野菜中心の昼食は、ぼくに気を遣ってくれてのものです。こういうことって、嬉しいですね。病気をして以来、さまざまなひとがいろいろと心配してくれます。いい年をしてやっと気がついたのが、ひとのありがたみです。ぼくの場合はそれに気がつくのが遅すぎました。その分、なおさら感謝の気持ちを忘れないようにしないと。そして、そのご好意に応えないと。どれだけご恩に報いているかは、はなはだ心もとないですが。
で、自由が丘に行ったのは、7月に予定している『ブルーノート大辞典』の出版記念トーク・イヴェントの会場を決めるためです。最近オープンした「ギャラリー悠」というところですが、ここはちょっと前に高校の同級生が自分の作品の展示会をしたことで知りました。
同行した東京キララ社の社長と編集者もすっかり気に入ってくれた様子で、その場で即決となりました。イヴェントは7月5日(日)の15時半から17時まで。詳細はいずれこのブログで告知します。当日は『ブルーノート大辞典』をお買い上げていただくか、すでにお買い求めの方は本をご持参していただけば、飲み物代だけで入場可という方式になると思います。
いずれにしても、この本を買ってくださいということですね。『ブルーノート大辞典』はマニア向けの本なので、ぼくとしてはあんまり押し売りみたいなことはしたくないし、かといって出版社には少しでも売り上げアップに協力したいしで、うーん、とにかくひとりでも多くの方に来ていただければと思っています。
上野毛は実家があるのでよく行きますが、いつも車なので、駅前も素通り。昨日は何十年ぶりかで歩いてみました。高校時代によく行ったラーメン屋さんとか本屋さんとか文房具屋さんとかがまだそのまま残っていて、懐かしかったです。ただし、街並みはすっかり変わっていましたが。
自由が丘も、高校時代から大学時代にかけてさんざん遊びにいったところです。ここはレコード屋さんがいくつかあるので何年か前までときどき行っていました。ただし「ギャラリー悠」がある通りに足を踏み入れたのは、やはり40年ぶりぐらいです。その開けっぷりにびっくりしましたが、懐かしさも残っています。
昔よく行った場所に何十年ぶりかで行くと不思議な気持ちがしますね。実家の周辺も雰囲気はそのままですが家並みがまったく違ってしまいましたし、生まれ育った渋谷の家の周りも、当時の雰囲気は残っていても建物の大半が違うものになっています。
ニューヨークにいたのは25年以上前ですが、たまたまぼくが住んでいたところは建物も含めてまったく変わっていません。短期のものも含めると2年間でアパートを4回変わっています。それらのいずれもがまったくそのままです。狭いマンハッタンということもあって、いまもそれらのアパートの前はときどき通ります。ネイバーフッドを含めて、本当にそのままで、いつでも気分は25年前に戻れます。
ぼくはここ何年かノスタルジー・モードに入っています。それもあって、上野毛や自由が丘をほんの少しの距離ですが歩きながら、そんなことも考えていました。
それで、昨日観た映画のヴァチカンやローマの街並みはどうなんでしょうね? まったく変わっていないと勝手に想像していますが、元気なうちに一度は行ってみたいところです。
今回の映画は、前作の『ダヴィンチ・コード』よりわかりやすくて楽しめました。こういうアクション・ミステリーは大画面かつ大音量で観るほうが楽しいでしょう。2時間半と少し長いですが、最初から最後まで中だるみがほとんどなかったです。
宗教と科学の共存は是か非か。そのことが次期ローマ法王選出に絡んできます。ストーリー自体はシンプルです。それをいかにスケールの大きな謎解きとミックスさせるか。そこがこの映画の面白さだと思います。
歴史学者が知識を駆使して謎解きをしていく面白さ。映画を観ながら、フト思いました。ジャズの曲名やメロディやミュージシャンの名前などをヒントに、マンハッタン中をジャズ評論家とミュージシャンが駆け巡って事件を解決させるストーリーに置き換えたらどうだろう、なんて。実在のミュージシャンや関係者やジャズ・クラブが次々と出てくる話ですね。ミュージシャンにはキャラクターのあるひとが多いですし、マンハッタンの街も魅力的でしょ。
ジャズとマンハッタンとミステリー。ぼくの好きなものが3拍子揃っています。いつか暇になったらこういう小説、書いてみるのもいいかもしれません。
そういうえば、日曜の夕方にこの映画を観たのですが、この曜日のこの時間帯にしてはかなりすいていました。これって、新型インフルエンザの影響でしょうか? こういうことで経済事情が悪化するとしたら、残念ですね。人ごみの中に行く・行かないは個人の勝手ですが。