ミッキー・ロークの復活、アカデミー賞ノミネーション、ゴールデン・グローブ賞受賞とか、多くの話題に包まれている『レスラー』を土曜日に渋谷の「シネマライズ」で観てきました。
年末・年始に行ったニューヨークでも封切られたばかりで大きな話題になっていましたが、そのときはなんだかミッキー・ロークの姿が痛々しそうなので、観るのを敬遠してしまいました。しかしいいタイミングで時間が空いたので、思いついて観てきました。
胸を揺さぶられた映画ですが、最後は行き場のない虚しさ、みたいなものを覚えました。娘との確執もひとつの軸ですし、心臓病を押して最後の大勝負に向かう心情もわかる気がします。「老いる」ことがどういうことか、それをストレートに自分の前に突きつけられた映画でした。
それだけに、重い余韻を引く映画です。彼の人生とは違いますが、一歩間違えれば似たような境遇にもなりかねません。そんな思いと、先日の三沢光晴さんの死とが重なり、映画館を出るときの足取りは重かったです。でも、こういう思いを強く心の中に生じさせる映画はそうそうありません。「救いのない映画」のように思えましたが、あとになってジーンとしてくるかもしれません。
昨日六本木ヒルズの「TOHOシネマズ」で観た「愛を読むひと」も重い映画でした。時代に翻弄された女性と、その女性に生涯心を寄せていた年下の男性。最後は悲しい結末になりますが、そういう思いを抱くことができた主人公はある部分で幸せだったんでしょう。ぼくはそう思いたいです。そうでなければ、あまりに辛い人生です。
一緒に観た友人とそのあとにいろいろ話をしました。で、一致した意見が「一般に男は女性よりロマンチックな生き物」ということ。人ってさまざまな思いを引きずって歳を重ねていきます。
ぼくにもいろいろな思いがあります。いい思い出、悲しい思い出、切ない思い出、ほろ苦い思い出、幸せな思い出・・・。悲喜こもごもです。でもそれらをすべてひっくるめていまの自分があるんでしょう。とくに最近は強くそう思っています。だから思い出は自分にとってすべてが大切な宝物です。
映画の主人公はずっと離れ離れになっていますから、自分たちの思いを伝えることはできません。それがなおさら思いを増幅させるのかもしれませんね。ほら、郷ひろみの「よろしく哀愁」に《逢えない時間が、愛育てるのさ》という歌詞があるじゃないですか。こういう心情、とてもよくわかります。
翻って、現在は携帯電話やメールがあって、ぼくもそうですが、思いを瞬時に伝えることができます。これはこれで互いの気持ちや思いをすぐに確かめることができて、せっかちなぼくには便利なツールです。
男と女に限りませんが、人間関係って不思議です。互いを思いやっていても気持ちが伝わらないもどかしさ。『レスラー』や『愛を読むひと』ではそれがいくつも重なっていました。
気持ちのすれ違いはよくあります。ぼくにもすれ違ったまま終わった人間関係がいくつかあります。そのすれ違いに何十年ぶりかで気がつくチャンスってめったにないと思いますが、それがわかったときのハッピーな気持ち。何十年も離れていた友人といろいろな話をしていて、そういうことがわかったときは嬉しいですね。胸につかえていたものがスッと消えていく心地のよさ。これが人生の醍醐味かもしれません。
気持ちが分かり合える友人とは、その友情を大切にしていければ、残りの人生がもっと豊かになるかなと思っています。この歳になるとそういう関係、とても大事です。なんてことを思うようになった自分に、ふとした瞬間、驚いたりしています。若いころはそんなことまったく考えもしなかったですから。