公開前から気になっていたドキュメンタリー映画です。たまたま先週の土曜日、午後にぽっかり時間が空いたのと、青山にある「イメージ・フォーラム」のすぐそばにいたのとで、観てきました。
実に似ています。誰にって? わたくしにです。ハーブとドロシーはニューヨークで郵便局員と図書館の司書をしている夫婦(いまは引退しています)。生活もそれほど楽じゃないふたりは、古いオンボロ・アパートで生活しています。
ところがこの夫婦、お金を貯めては1960年代から現代アートをコツコツと集めていました。お金がないので無名のアーティストの作品を買います。ときにはアトリエまで行き、未完成の作品を安く買ってきたり。
なにせコレクターですから。集めることが重要です。狭い部屋には壁はもとより、床から天井まで、そんな作品でいっぱい。もちろん飾りきれないので、大半は梱包されたまま。なにせコレクターですから。
彼らが重視しているのは所有することと、アーティストに何らかの形で還元すること。そこがエライ! ぼくも音楽で稼いだお金は音楽に使っています。還元したいですから。なので本業で稼いだお金とはきちんと分けて、会計を明確にしています。エライゾ!
そうした無名のアーティストの作品を買い続けていくうちに、彼らが現代アートの巨匠になっていくんですね。ここはブルーノートと同じです。映画の中で有名になったアーティストが何人か、「彼ら夫婦が最初にわたしの作品を買ってくれた」と話しています。多くのアーティストの初レコーディングを手がけたブルーノートとこれも同じです。
このハーブ&ドロシー、ほんとチャーミングな老夫婦です。いまではふたりとも背中が曲がって、歩くのも不安定ですが、どこにでも手をつないで一緒に出かけて行きます(主に展覧会ですが)。
そうすると、その展覧会の主役である現代アートの巨匠たちが、この夫婦にペコペコ挨拶するんですね。知らないひとが見たら、このひとたち誰なんだろう? と思うでしょう。そういう光景があちこちで見られるようになったことから話題となり、テレビや新聞や雑誌で紹介されるようになります。
そのうち集めたコレクションの展示もあちこちのギャラリーでやるようになり、いつしか夫妻にはさまざまな美術館から寄贈の依頼が舞い込んできます。しかしそれらを全部断っていたところに、ナショナル・アート・ギャラリーの学芸員が駄目でもともとと寄贈の申し込みをします。
ふたりがオファーを断っていたのにはわけがありました。ナショナル・アート・ギャラリー以外のオファーは、どこの美術館もコレクションが散逸するかもしれない可能性を含んでいたからです。ところがナショナル~はすべて保存し、常時1000点くらいは展示し、しかもそれらは無料で見られるという条件でした。
常時1000点? ウン? この夫婦のコレクションはどのくらいの数になるの? そう思うでしょ。学芸員がリストを作ったら4000点以上ありました。それらが狭いアパートに、無造作に置かれていたのです。
学芸員氏の心配は、雨が漏ったらどうしよう、あるいは熱帯魚の入った大きな水槽があるので、それが壊れて水浸しになったらどうしよう、というものでした。その気持ち、よくわかります。ぼくも床が抜けたらどうしようっていつも思っていますから。ちょっと違うか。
それで、よくぞあの小さなスペースに入っていた、と学芸員も呆れるのですが、大型トラック5台でギャラリーまで搬送しました。
この時点で(それよりだいぶ前のことだと思いますが)、ふたりは引退して年金生活を送っていました。そこでその学芸員は、ふたりは歳だし、いつ病気になるかもわからないし、アパートも追い出されることだってあるだろうしと考え、ギャラリーに掛け合い、いくばくかの謝礼を贈ります。
ところがこの夫婦、それも現代アートの作品に使ってしまったんです。いまだコレクター魂衰えずの面目躍如です。嬉しいですね、こういうひとがいるっていうのは。そして周囲が彼らを暖かく見守っているのも、とても素晴らしいことだと思います。
いい映画を見ました。ところで、ぼくは老後の生活費とボケ防止のため、自分のコレクションはヤフオクか何かで売るつもりです。なんと志の低いことか。そこが彼らとはまったく違っていました。
ちなみにこの映画に登場して夫婦のことを語るアーティストには、クリストとジャンヌ=クロード、リチャード・タトル、チャック・クロース、ロバート・マンゴールド、ローレンス・ウィナーといったひとたちがいます。