まだ新人の部類に入れてもいいかもしれませんが、昨日ようやくクリスチャン・スコットのライヴを観ることができました。日本にはソウライヴのホーン・セクション、あるいはマッコイ・タイナーのグループで来日していたのですが、タイミングが合わず聴き逃していたトランペッターです。
最近出た「ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル」のライヴ盤がよかったので、かなり期待していました。小柄ですが、リー・モーガンみたいに30度ほど上向きにしたトランペットを吹くクリスチャンは、派手な仕草はまったくしませんが、体全体でトランペットを吹く姿はいい感じです。
ぼくが強い印象を覚えたのはグループのサウンドです。強弱のつけ方とかクライマックスへのもっていき方に神経を使っているようで、CDで聴いているより、演奏が体の中に入り込んできます。ライヴ度が高いグループとでもいえばいいでしょうか。
演奏も面白かったです。どこからどう聴いても現代のモダン・ジャズですが、それとは別に、1960年代後半のサイケデリック時代とリンクしたジャズ、みたいなイメージがぼくには浮かびました。「フィルモア」で演奏しているチャールス・ロイド・カルテットとか、ラリー・コリエルと組んでいたゲイリー・バートン・カルテットなんかのことです。こんなことを思うのはぼくだけでしょうが。
そのイメージを強くしていたのがギターのマシュー・スティーヴンスです。ジャケットにジーンズ姿があのころの学生風で、どこか若き日ののラリー・コリエルを思い出させてくれました。ドラムスのジェームス・ウィリアムスはジャック・デジョネットみたいなたたき方で、こちらはチャールス・ロイド時代の彼にイメージがダブります。
ステージのバックに、照明の加減でちょっとサイケデリックな模様が浮かんできたときには、思わずニヤリとしてしまいました。もっとも、これぼくが昔のことを思って演奏を聴いていたので、そういう風に見えただけのことでしょうが。
ジャズ・ロックの時代、つまりサマー・オブ・ラヴの時代にいつも思いを巡らせているぼくには、ちょっとしたことでもあの時代にイメージを重ねる傾向があります。ですから、昨日のライヴはそんなこととはまったく無関係ないんですが、ステージを観ながら妄想をどんどん膨らませていました。
でも、そんなことをいったって、「フィルモア」も知らなければ、そのころのサンフランシスコのことだって、雑誌や本で見たり読んだりしているだけです。だからこそ、妄想を膨らませることができます。実際を知っていたら、そんなことできませんから。その時代にその場にいなかったからこそ、強い憧憬を覚えるんでしょうね。
そういえば、クリスチャンのデヴュー作『リワインド・ザット』のライナーノーツはぼくが書いています。そこから、彼の言葉を引用しておきましょう。
「自分が感じるように演奏することが自分のスタイルに繋がると思うんだ。自分にどのくらいビバップのフレーズが吹けるかなんて問題じゃない」
「個性的な演奏がいかに重要かっていうことはドナルド(ドナルド・ハリソン=クリスチャンの叔父さん)が教えてくれた。あと、彼が忠告してくれたのは、同世代のトランペッターはあまり聴くなってことだ。彼らに似たサウンドで演奏したくないからね」
「そういうサウンド(ベン・ウェブスターがトレードマークにしていたサウンドをトランペットに置き換えたような響き)を身につけるのに2年かかった。クリフォード・ブラウンがこういうサウンドでトランペットを吹いていたらしい。レコーディングされたものからはあまり聴き取れないんだけど、クラーク(クラーク・テリー)がそう教えてくれた。クリフォードは息を吐くようなトーンでウォームな響きを生み出していたんだ。ぼくもそういうサウンドが好きだな。そういう音で吹けば、ひとの話し声のようにトランペットがサウンドするからさ」
「マイルスは、最初ビバップを演奏していた。しかし、あるときから彼は違う方向に進み始めた。自分が感じていることを演奏で表現するようになったのさ。それが重要なんだ」
クリスチャン・スコット・クインテットの演奏は、まったくもって現代的なストレート・アヘッド・ジャズだったんですが、ぼくには1960年代のジャズにも聴こえました。ぼくにはこれ、とても重要なことです。現代的なサウンドや演奏だけのグループには興味ありません。伝統が演奏に息づいていてこその音楽ですから。そのことは、ジャズでもロックでも同じです。そんな風にして音楽を楽しんでいるぼくは、古い人間なんでしょうね。というか、実際に古い人間なんですが。