平野啓一郎・翻訳、宮本亜門・演出による『サロメ』。平野さんにお声をかけていただいたので、14日の木曜日に観てきました。ご一緒したのは、たまたまフランスから帰国していたカメラマンのヒロ・ササキさん。
ヒロさんは、平凡社から平野さんと一緒に出した『Jazz X 文学』の表紙写真を撮ってくださった方で、ニューヨークではマイルスと同じアパートに住んでいたという人物。ジャズも大好きです。
先日も、この3人に、やはりちょうどニューヨークから帰国していたクリスティーズの山口桂さんとの4人で楽しい食事会をしました。
ぼくはこのところ演劇とはとんとご無沙汰。学生時代は大学が新宿だったので、花園神社の赤テントだとか黒テントだとか状況劇場だとか、アングラ系の演劇をちょこちょこ観ていました。その後、井上ひさしやつかこうへいが話題になって、それも「紀伊国屋ホール」なんかで何度か観ましたが、「ちょっと違うかなぁ」なんて思うようになり、演劇から足が遠のきました。
でも留学時代はミュージカルや演劇をたまには観ていました。音楽とは違うライヴ感というんでしょうか。そういうのが好きで、オフやオフ・オフのブロードウェイでも気になるものがあれば観るようにしてはいたんですが・・・。
その後はごくたまにニューヨークで気になるものをいくつか観たに過ぎません。ミュージカルなら『バディ・ホリー物語』やスティングが主演した『三文オペラ』、あとは宮本亜門のブロードウェイ進出作品『太平洋序曲』や今井雅之の『The Winds of God』あたりかしら。
と、ちょっと自分の記憶をまとめたところで、初台にある「新国立劇場」での『サロメ』です。久々の演劇ということもあり、最初はその空気感にとまどいました。音楽なら違和感なくスッと入っていけるんですけどね。
主役の多部未華子は最後までよく頑張ったという印象。
義父役は奥田瑛二。貫禄はそこそこあるんですが、やっぱりテレビの人のイメージがぼくには強くて、最後まで気持ちの中でそれが払拭できなかったです。平野さんが用意してくれた席がとてもよかったので、逆にもっと遠くから(顔がわからないくらいの距離で)舞台が観れたら、違う印象になったかもしれません。
「さすがだなぁ」と思ったのは、母親役の麻実れい。ふたりに比べるとセリフはあまりありませんが、立ち居振る舞いに存在感がありました。舞台のひととそうでないひととの違いは声の出し方や仕草に表れるんでしょうか? まったくの門外漢ですから、しろうとのたわごとですけど。
こんなことを書いたら平野さんにむっとされるかもしれませんが、気になったのは最後の場面。床一面が血の海になり、その血が絨毯やソファにもついてしまいます。次の公演のときはどうするんでしょう? 全部変えるんでしょうか? それとも水洗いが利くものを用いているんでしょうか? マチネーのときは時間がないから別のセットが用意されているのかしら? なんて、妙なことが気になるわたくしです。
でも平野さんの翻訳は、さすが言葉にこだわりのあるひとだけあって楽しめました。福田恆存(でしたっけ?)が訳した『サロメ』を大昔に読んだ記憶があるのですが、「読んだ」という記憶だけで、内容はまったく覚えていません。それでも、最初から「ずいぶん違うなぁ」という感じはありました。
話はまったく異なりますが、最近よく観ているのが1960年代から70年代にかけての邦画です。『もっとしなやかに、もっとしたたかに』の冒頭、若き日の奥田瑛二が登場するのですが、これが嵐の二宮くんソックリ。
ソックリといえば、堺雅人は1960年代の日活映画に登場する山内賢と顔つきや仕草までおんなじ。あと、同じ時代によく映画に出ていた舟木一夫は、外見はまったく違いますが、草薙君のイメージ(いいひとぶりが)とピタリ一致します。
ということで、今日は『サロメ』から妙な話になってしまいました。