年齢を理由に今回で日本ツアーは最後にすると宣言したソニー・ロリンズ。その最終公演に行って来ました(11月11日。東京国際フォーラム・ホールC)。5日にも同じ国際フォーラムのホールAで聴いてきましたが、今回は追加公演で、5000席あるホールAよりもぐっとこぶりのホールC、しかも14列目のほぼ真ん中という、距離的にも音的にもちょうどいい座席で観ることができました。
5日は、途中で休憩を挟んでの2時間でしたが、今回は休憩なしで2時間のステージにアンコールが1曲という構成です。それにしてもロリンズは元気一杯。この間よりも音に張りがあり、しかも強力無類のプレイを聴かせてくれました。とても1930年生まれとは思えません。
しかし、この日でロリンズのプレイが日本で聴けるのは最後です。ぼくは、朝から彼のことばかりを考えていました。さすがに診療中は頭を切り替えていましたが、昼休みも診療後も、ロリンズのことをいろいろと思い出していました。
初めて聴いたのは1968年1月のことです。このときはピアニストのヒュー・ロウソンが急遽来日できなくなり、ぷーさんこと菊地雅章さんが入りました。そのときに会場の厚生年金会館の裏にあった東京医大のキャンパスを見て「この大学に入りたい」、そう思って猛勉強をしたことも懐かしい記憶です。
これまでのコンサートで一番感動したのもロリンズのコンサートでした。留学中の1982年11月、ニューヨークの「ボトムライン」でぼくはロリンズにジャズの真髄を教えてもらいました。目の前でこれでもかこれでもかとブローする彼の姿から、ジャズの楽しさ、スリル、感動、興奮など、さまざまなものを本当の意味で初めて感じたのです。
翌年4月には、ニューヨークの「タウン・ホール」でロリンズとわが隣人のウイントン・マルサリスが共演したコンサートも観ました。このときは、始まってすぐにロリンズが舞台で倒れてコンサートが中止になってしまいました。理由は、サックスをブローしようとそっくり返ったところ、勢いあまってそのまま転倒して後頭部を打ち、一瞬気を失ってしまったからです。
インタビューもこれまでに5~6回はさせてもらいました。電話インタビューも加えれば10回くらいはインタビューしたでしょうか。ぼくがインタビューしたアーティストの中で一番多いのがロリンズです。マイルス・デイヴィスが亡くなってしばらくあとにインタビューしたときは、事前に奥さんから、「まだショックから立ち直っていないのでマイルスの話題は避けて」と頼まれました。彼もマイルスのことを心から愛していたんですね。
ニューヨークのリハーサル・スタジオで長時間のインタビューに応じてくれたこともありました。このときは、少年時代から現在までをとても丁寧に語ってくれて、おおいに恐縮したと同時に、その率直で心優しい態度にも感激しました。
この間の8月にロリンズの自宅でインタビューさせてもらったことはブログに書いたとおりです。そのときに感じたちょっとうしろ向きの姿勢は、2回の東京コンサートを聴く限り完全に払拭されていました。新曲も披露してくれましたし、演奏自体が実に前向きで、現代の活きのいいサックス奏者と比べてもまったく負けていません。フリー・ジャズ的なブローを随所に散りばめてのプレイは、ロリンズがいまもモダン・テナーの最前線にいることを示していました。
コンサート中盤で「Someday I'll Find You」を演奏したときは、何度もこのタイトルをコールしていました。「いつかまた会えるよね」。満員の聴衆に向かってロリンズがこう言ってくれたのでした。ぼくも心の中で「I hope so」と答えていました。
しかしこのコンサートを観たら、まだまだロリンズは元気一杯、本当にまた日本にも来てくれるのじゃないかと思えるほどでした。前言撤回、結構じゃないですか。いつでも翻してください。待っています。
アンコールで演奏した「イン・ア・センチメンタル・ムード」にロリンズの気持ちがよく表されていました。センチにはなりたくなかったけれど、これが日本で聴くロリンズ最後の演奏かと思ったら、ぼくは深い感動にとらわれていました。
不世出のテナー・サックス奏者。その彼のプレイを何度も聴けたことは、ぼくの自慢であり誇りです。この時代に生きたことを感謝したいと思います。