昨日は久しぶりにマイク・スターンのライヴを「ブルーノート東京」で観ました。このひと、いい意味でも悪い意味でも以前とまったく変わっていません。メンバーはボブ・フランセスチーニのテナー・サックス、アンソニー・ジャクソンのベース、そしてデニス・チェンバースのドラムス。この面子なら、ファンならずともサウンドの予測がつきますよね。
自分でもギターを弾いていたことがあるので、ギタリストにはことのほか興味があります。マイク・スターンのプレイは、マイルスのグループで聴いたのが最初ですから、それから25年が過ぎたことになります。そのときのロック的な響きが強く印象に残ったことを、「ブルーノート」のステージを観ながら思い出しました。
前半は割とおとなしめでした。バンドが一体となってがんがん行きそうにはなるのですが、次の瞬間、ブレーキがかかってしまいます。乗っていないわけではないんですが、構成上そうしているんでしょうね。一緒に観ていた平野啓一郎さんは、終わってから「ウインダムヒルのレコードを聴いているみたい」なんて言っていました。
ところが後半はひとが変わったように凄い内容になりました。デニス・チェンバースが大暴れをして、バンド全体を引っ張り始めたんです。こうなるとマイク・スターンも負けていません。「どうして出し惜しみしていたのよ」と言いたくなるほど面白いフレーズが次から次へと飛び出してきました。
ふたりに煽られて、サックスのボブ・フランセスチーニも大ブローです。それでもひとりすまし顔で淡々とベースを弾くアンソニー・ジャクソンの姿が微笑みを誘います。このひと、いつも機嫌がいいのか悪いのかわからないような感じで、表情を顔に表しません。しかし、ぐいぐいグルーヴするベース・プレイを聴けば、乗っていることは一目瞭然です。
マイク・スターンもアンソニー・ジャクソンもデニス・チェンバースも、相変わらずぼくにとっては最高のプレイヤーです。10年以上前にデニスの初リーダー作品をプロデュースしたんですが、あのときとルックスもプレイもまったく変わってないことに気がついて、ほっとした気分になれたのはどうしてなんでしょうね?
デニスのリーダー作をつくることは、ぼくの夢のひとつでした。でも、恐れ多くてリーダー作を作りたいなんて切り出せなかったんです。その時点で、彼はフュージョン・シーンにおける最高のドラマーのひとりになっていました。ひっぱりだこの人気者で、マイルス・デイヴィスの誘いも断ったほどですから。
GRPやアトランティックからオファーが来ている話も聞いていましたし、無名の新人プロデューサーであるぼくなんかおこがましくて、という感じでした。ところがあるレコーディングに参加してもらったのをきっかけに、ぼくたちはすっかり意気投合したんです。
そんなこんなでいろいろと話をしているうちに、リーダー作を作ろうということで盛り上がりました。ぼくにしてみれば棚からぼた餅です。それからふたりでメンバー選びと選曲に取り掛かりました。デニスは曲が書けません。しかし、彼にはいろいろなひとから「演奏してほしい」とオリジナル曲が寄せられていたんですね。それらを聴きながら、アレンジャーにジム・ベアードを起用してのアルバム作りが始まりました。
いい話があります。アンソニー・ジャクソンから、一面識もないぼくのところに電話がかかってきたんです。
「デニスのレコーディングに参加したい」
びっくりしました。予算の関係で、頼みたいけれど頼めないと諦めていたのがアンソニー・ジャクソンなんですから。その本人からの電話を受けて、ぼくはどきどきしながら、「予算的にちょっと・・・」と切り出しました。
「ギャラはいくらでもいいよ」
日ごろから世話になっている親友のためならお金は二の次でいい。普段はこわもてのアンソニー・ジャクソンですが、実は心の優しいひとでした。それも、デニスとの友情があればこそです。
デニスもひと柄のよさでは最高です。こんなにいいひとは滅多にいません。アルバムにはボブ・バーグやジョン・スコフィールドなんかも参加してくれました。有難いことに、みな格安のギャラです。いつもデニスには世話になっているからと、彼らが恩返しをしてくれたんですね。
デニスはアルバム・タイトルをこう決めていました。
『ゲッティング・イーヴン』
「これで貸し借りなしだ」。あるいは「貸しは返してもらった」とでも言いたかったのでしょうか?
「ブルーノート東京」で大暴れをしているデニスのプレイを聴きながら、思いは10数年前のニューヨークのスタジオにトリップしていました。あのときのプレイが昨日の演奏に重なっています。デニスは変わっていません。でもこの普遍さがとても心地よく感じられました。