「天からの授かりもの」
リチャード・ボナのステージを観ていると、いつもこの言葉が浮かびます。10年近く前、1997年のことだったとと思います。ジョー・ザヴィヌルのグループで彼は初来日しました。そのときに、渋谷の「QUATTRO」でザヴィヌルから紹介されたのがボナでした。
このときは彼も若くてちゃらちゃらした印象だったのですが、ステージでベースを弾く姿に圧倒されました。そこにはジャコ・パストリアスそっくりの超絶技巧を駆使するベーシストの姿があったからです。以来、ボナのプレイには注目してきました。
4年前の「ブルーノート東京」。そこで彼がリーダーとなったグループを初めて観ました。そのときの感動は言葉で表せません。「ブルーノート」のステージに神様が降りてきたようでした。テクニックに一層の磨きがかかっていたことは言うまでもありません。しかし、そんなことはどうでもよかったんです。大切なのは、彼の音楽がとても温かだったことです。大地に寝転がって、そのぬくもりを肌で感じる──。そんな気持ちになれる音楽をボナは聴かせてくれました。
ジャコ・パストリアスの面影も強いし、サウンドはウェザー・リポートの影響を受けています。それでも、ボナにしかできない音楽がそこでは繰り広げられていました。テクニックの凄さを音楽の力とせず、音楽に寄せる愛情が演奏に温かさを加えていたのです。ぼくにはそう感じられました。
これぞ「天からの授かりもの」だと思いました。もちろん、ボナがここまでくるのには、ひと並外れた努力を重ねたことでしょう。才能に恵まれ、その才能に溺れず努力を積み重ねた結果がステージに結実していたのだと思います。
昨日の「ブルーノート東京」でも、ボナは4年前の感動を再現してくれました。シンガーとしても類い稀な美しい声の持ち主である彼は、以前にも増してベースとヴォーカルを一体化させ、心に残る歌と演奏の数々を聴かせてくれました。
こういう音楽をどう説明したらいいのかわかりません。ジャズをベースにしたワールド・ミュージックとでも言うんでしょうか? それはメンバーの多彩さにも表されていました。
ボナはカメルーン出身です。サックスのアーロン・ハイクはアメリカ、キーボードのエティエンヌ・スタッドウィックはオランダ、ギターのイーライ・メネゼスはブラジル、ドラムスのアーネスト・シンプソンはキューバ、パーカッションのサミュエル・トレスはコロンビアといった具合です。
この国籍不明バンドが演奏する音楽は、言ってみればウェザー・リポートのアフリカ・ヴァージョンみたいなものでしょうか? でも、随所でボナにしか表現できないサウンドが示されていました。
このいかつい顔をしたボナの音楽に、ぼくはどうしていつも他愛もなく感動してしまうのでしょう? 2年半ほど前にインタビューした際、そのことを彼にぶつけてみました。答えはこうでした。
「ぼくは音楽で平和を訴えたいと願っている」
最初に会ったときのちゃらちゃらした印象はすっかり消えてなくなっていました。たまたま9.11が話題になっていたこともあって、こんな答えが返ってきた部分もあります。しかし混迷するアフリカに生まれたボナにとって、平和は生涯の命題なのでしょう。
アメリカに住んでブッシュ政権を批判していたボナ。彼はきっと強い意識を持って、音楽をクリエイトしているのだと思います。その思いが、ぼくの心の中にある何かを刺激するのでしょう。
昨日の「ブルーノート」でも、ぼくの神様は素晴らしいベース・プレイと美しい歌声を聴かせてくれました。こんなひとの音楽が聴ける喜び。帰りに知人と食事をしながらも余韻に浸っていました。そして、ちょっと興奮して、知人を相手に喋りすぎてしまったようです。彼らにしては迷惑な話だったかもしれませんが。
最後になってしまいましたが、今日は駒場東大前での「ONGAKUゼミナール」です。この報告は、明日にでも書きます。