昨年の夏、ニューオリンズ周辺を襲ったハリケーン・カトリーナは、アメリカのルーツ・ミュージックにも甚大な被害をおよぼしました。ジャズの故郷であるニューオリンズの街が壊滅状態になっていることを、これでもかこれでもかと伝えていたニュース映像にショックを覚えたかたも多いでしょう。
超大国であるアメリカにおいて、このような悲惨な状況にたいした手が打てない現実。ブッシュ政権の思いやりのなさ。アメリカの文化遺産が失われていくことに覚えた歯がゆさ。
しかし、ニューオリンズのミュージシャンはこの状況に負けません。わが隣人だったブランフォード・マルサリスは、ニューオリンズに住む彼の家族を心配して直後に出したぼくのメールに対し、このような返事をくれました。
Thanks for your concern. Everyone is well, even though the city is not. It will be some time before they are able to return to our home. I am dealing with the hopelessness of it much better now than I was a few days ago. It is a series of catastrophes that did not need to occur were it not for politics. It will be a long time before things are normal in New Orleans again.
悲惨な状況にあって救われたのは、9.11のときと同様、ミュージシャンが結束を固めたことです。ブランフォードの弟、ウイントン・マルサリスはすぐさま行動を起こし、2週間後にはニューヨークで多くのミュージシャンやシンガーを集めてチャリティ・コンサートを開催しました。ブランフォードも同郷のハリー・コニック・ジュニアと共同で資金を拠出して、ニューオリンズにアーティスト・ハウスとコンサート・ホールが併設された施設を建設する計画を発表しました。
ニューオリンズ出身のアーティストを中心にしたチャリティ・アルバムもいろいろと出ています。とりわけ感動したのが、1月に発売された『アワ・ニュー・オリンズ』(ワーナー)でした。アラン・トゥーサン、ドクター・ジョン、アーマ・トーマスといったニューオリンズのR&B系ミュージシャンがこのアルバムのためにそれぞれ新録音を行なっています。
急なレコーディングにも関わらず、安直な内容ではなく、それぞれがベスト・メンバーを集めて最高のパフォーマンスを聴かせてくれます。R&Bのファンやニューオリンズ・ミュージックのファンには必聴の1枚でしょう。
ぼくはとくにアラン・トゥーサンの「イエス・ウィ・キャン・キャン」とドクター・ジョンの「ワールド・アイ・ネヴァー・メイド」に胸を打たれました。どちらも古い曲ですが、この災害のことを思いながら聴くとことさらじーんとしてしまいます。
アラン・トゥーサンの言葉です。
「わたしのスタインウェイも、レコードも、アレンジ譜も、スタジオも、すべてなくなってしまった。家はバイユー・セント・ジョン通りの近くにあったんだが、そこでは8フィーとも水が来てしまった。でも、精神は水に沈んじゃいない。わたしにはまだ音楽がある。鍵盤さえ叩かせてくれれば、自分の仕事はいつでもやれるつもりでいるよ」
ランディ・ニューマンがルイジアナ・フィル(ニューヨーク・フィルの有志も参加)と共演した「ルイジアナ1927」も胸に迫ってきます。1927年にニューオリンズで起こった歴史的な大洪水をテーマにした歌で、1974年の作品『グッド・オールド・ボーイズ』(ワーナー)で発表されたオリジナルです。
災害について悲しんだり、何かを話したり書いたりすることは、誰にでもできます。ぼくもこうやって書いていますし。それはあくまでひとごとだから書けるという部分もあるでしょう。
渦中のひとたちがどんな思いでいるかは推し量ることができません。それでも、ニュースを見たり、ニューオリンズのひとの話を聞いたり、そしてこうした音楽に触れたりして、自分なりに何かを思い、考えることには意味があると思います。
考えるだけでは、思うだけでは、救いの手は差し延べられません。それでも考えずにいられないのは、ぼくの場合、音楽が大好きだからです。とくにニューオリンズの音楽には、ジャズを含めて相当に入れ込んでいた時期があります。でも、動機はどうでもいいでしょう。何かを思い、考えること。それが大切だと思います。
ところで、このCDを聴きながら、ぼくは早く自分の夢を実現させようと思うようになりました。それは、ニューオリンズから始まるジャズの歴史を辿る旅です。ミシシッピ河をのぼってカンザスシティを経て、シカゴからニューヨークまで。その間にいろいろな街を訪ねて、ジャズの痕跡を辿ってみたいと思っています。
ニューオリンズに住む長老もどんどんこの世を去っています。ほかの街も同じでしょう。それは仕方ありませんが、その旅では田舎の片隅で素朴な音楽が聴ける店をたくさん見つけたいと思っています。そういう場にこそ音楽の真実や原点があるように思うからです。それをぼくは死ぬまでに、自分なりに納得した形で体験したいと考えています。
一度でいっきにできる旅ではありません。そろそろ少しずつ始めてみる時期かなと、『アワ・ニューオリンズ』のジャケットを見ながら、そして音楽を聴きながら思うようになりました。