昨日は、駒場東大前の「Orcardバー」で、「はっぴいえんどと仲間たち」と題する「ONGAKUゼミナール」を開催しました。お越しいただいたみなさんにはどうもありがとうございました。お楽しみいただけたらよかったですが。

はっぴいえんどは実質2年の活動で、驚くほど大きな成長を遂げました。その成長の過程をたどりながら、ぼくの思い出話などを交えつつの2時間でした。
当初は岡林信康をメインに、バック・バンド的な性格が強かったはっぴいえんどです。しかし、そうしたバック・バンドで音楽性やテクニックに磨きをかけ、方向性も明確にしていきます。その集大成が2枚目の『風街ろまん』です。こんな凄い作品を作ってしまえば、あとはソロ活動に向かうしかありません。

そのあたりのことを、時代の空気と共に伝えたかったんですが、悪い癖が出て、話があちこちに飛んだため、論点が不明瞭になってしまったのでは? と反省しています。以下に、昨日の曲目リストを貼りつけておきます。最初の2曲は、はっぴいえんどの前身的なグループによる音源です。
【はっぴいえんどと仲間たち曲目リスト】
1.さまよう船(フローラル)
2.暗い日曜日(エイプリル・フール)
3.十二月の雨の日(はっぴいえんど)1970年4月12日、文京公会堂
4.春よこい(はっぴいえんど)
5.夜汽車のブルース(遠藤賢司)
6.今日をこえて(岡林信康)
7.ゼニの効用力について(加川良)
8.銭がなけりゃ
9.ありがとう(小坂忠)
10抱きしめたい(はっぴいえんど)
11.空いろのくれよん(はっぴいえんど)
12.風を集めて(はっぴいえんど)
13.空飛ぶくじら(大瀧詠一)1971年録音
14.風来坊(はぴいえんど)
15.外はいい天気(はっぴいえんど))
16.ろっかばいまいベイビー(細野晴臣)
17.砂の女(鈴木茂)
18.風をあつめて(はっぴいえんど)1985年ライヴ
話はまったく変わりますが、「ONGAKUゼミナール」をやりながら思いました。音楽を楽しむ、とくにいろいろなひとと一緒に楽しむっていうのはどいうことなんでしょうね? こういう仕事をしているので、ときどき「ジャズってわからないんですよね」とか、「どうすればジャズがわかるようになるんでしょう?」と聞かれます。そんなこと、ぼくにだってわかりません。ジャズでも他の音楽でも何でもいいんですが、「わかる」ってどいうことなんでしょう?
ぼくだって、「お前はジャズがわかっているのか?」と聞かれたら、躊躇なく「まったくわかりません」と答えます。「わかる」とか「わからない」っていう言葉は、音楽を楽しむ上でまったく意味がありません。そのひとがその音楽を聴いて楽しいかどうかだと思います。
勝手に名前を出して申し訳ありませんが、作家の平野啓一郎さんと対談していて強く感じたことがあります。彼はぼくよりふた回り若いのに、マイルス・デイヴィスにしろほかのアーティストにしろ、ぼくより断然それらの音楽について適格な意見を持っています。
マイルスの作品についていうなら、平野さんに比べてぼくは何百倍か聴いていると思います。ライヴだって何10回も観ていますし、本人にも何度も会っていろいろ話を聞かせてもらいました。それでも平野さんの語るマイルスのほうが、ぼくより優れています。
それをとてもうらやましく思ったと同時に、そういうことなんだと納得もしました。何が「そういうことのか」というと、音楽は体験や聴いた回数で理解力が深まるとかそういった類のものでないってことです。とっくの昔からそういう風に思っていましたが、平野さんと話をしていて改めて痛感しました。
1回しか聴いたことがなくても、その音楽の真髄が楽しめるひともいます。ただし、それはそのひとにとってということです。音楽を楽しむ、楽しまないというのは、個人的な思いに基づくものですから、そういう楽しみかたができる対象に対して、「わかった」とか「わからない」といういい方は不適切だと思います。
要は、そのひとがその音楽をどれだけ楽しめるかです。そういうことを考えると、昨日のようにある程度の人数が集まって、それぞれの感じ方でいいと思いますが、みなさんにぼくがお聴かせした音楽が楽しんでいただけたとしたら、それは本当にいい時間を共有できたと思います。こういう場は大切にしたいですね。
「音楽がわかる、わからない」についてはまだまだいろいろ考えることがありますが、それはまたの機会にということで。
土曜からニューヨークなので今週はかなり忙しいことになりそうですが、無理をしないでマイ・ペースで行こうと思っています。