
13日に渋谷の「C.C.レモン・ホール」で聴いてきました。以前の「渋谷公会堂」ですが、このホールに行くのは久しぶりです。昔はここでもよくロックのコンサートなんかがありました。岡林信康のリサイタルもあったし、ユーミンのコンサートもここで観たかもしれません。ウェザー・リポートの初来日もそうですね。ライヴ・アルバムが出ていますが、ここじゃなかったかしら?

今回はオーケストラの前に「大」の字がついています。でも、編成的にはいつもと同じくらいの印象でした。ホール・コンサートということで、ニューヨークからゲストとしてジェームス・チャンスが加わり、中盤をおおいに盛り上げてくれました。

ニューヨークNo waveのカリスマは相変わらずパンクの精神が健在で、「渋さ」をバックにやりたい放題です。ぼくは仕事の都合で、彼が登場する少し前に会場に着きました。ジェームス・チャンスがゲストとは知らないで行ったため、最初は誰だろう? なんて思っていたんですが、遠くから観ても白いジャケットや髪型、ステージ上のポーズからひょっとして? とは思いました。音楽から察するのではなく、外見からそうではないかな? と思ったところがこのひとの存在感でしょうか。というより、ぼくが彼の音楽をよく知らないだけの話ですが。
それにしても歌は下手でした。わめいているだけ。でもサックスは本物です。キーボードも駄目だけれど、このサックスがあればすべてを許す! そんな感じでしたね。
「渋さ」は、ジェームス・チャンスと共演しても、いつもの「渋さ」です。そこがいいじゃないですか。ダンドリストの不破さんは、ジェームス・チャンスが大ハッスルしているのでやることがなかったのか、ステージでずっとビデオを回していました。こういうところも彼らしいし、「渋さ」のステージらしくていいですね。
終盤にはストーンズのコンサートなんかに出てくるような空気で膨らました大きな生物の風船が会場内を浮遊したり、2階席の両脇からこれまた何だかわけのわからないオブジェのようなものが飛び出したりと、いつも以上に演出が派手になっていました。

この写真、何だかわからないと思いますが、コンサート終了後のロビーです。「渋さ」がそのままロビーでしばらく演奏していたんですね。こういところも型破りで面白いと思います。
「渋さ」のいいところは、どんな場所でやっても自分の世界にしてしまうところでしょう。こんなに強烈に自己主張するバンドはいません。しかも、野放図なサウンドの体裁を取っているものの、これほどまとまりのいいバンドも珍しいと思います。いろいろなサウンドがごった煮のように詰め込まれていますが、最近の印象はブラス・ロック・バンドですね。ヴォーカルがフィーチャーされているから短絡的にそう考えてしまう部分もあるのですが、8ビートでソリッドなブラス・セクションがリフを演奏するところなど、初期のシカゴみたいで好きです。

「渋さ」を聴いてシカゴを思い出すひとなんてひとりもいないでしょう。まったく的外れのコメントだと思いますが、そう感じたものは仕方ありません。何10年も音楽を聴いてくると、頭の中に説明不能な複雑な回路ができちゃうみたいです。「渋さ」のサウンドがその回路を通ると、その先にあるシカゴのサウンドに結びつくんですね。
ひとには、それぞれの音楽歴があります。音楽を聴けば何かを感じます。その感じる何かに影響を与えるのが個々の音楽歴だと考えています。音楽歴はみんな違いますから、感じ方も違って当然。
そういうことからいけば、的外れな意見がどんどん登場してくる方が自然かもしれません。それで「渋さ」なんですが、このオーケストラを聴くと、ぼくの回路はいつもフル回転します。あるパートではマイルスにたどり着き、次のパートではジミ・ヘンドリックスだったりと、自分がこれまでに聴いてきた音楽の四方八方へと飛んでいくわけです。ときには、ぐるぐる回って行方不明になったりもします。この行方不明は、言葉を変えると快感ということになりますか。行方不明が多ければ多いほど、頭の中は混乱し、回路はスパークし、その結果、もうひとつ新しい回路が生まれます。こうやって音楽歴がさらに厚みを増していくのです。
さあ、自分で書いていて何がなんだかわからなくなってきました。そういうわけで、今日はこの辺でやめましょう。でも、いいたいことは何となく伝ったでしょうか? 時間があるときに、一度このテーマできちんと自己分析をしながらもう少しまともなものを書いてみたいと思います。