
来年は結成20周年を迎える山下洋輔ニュー・ヨーク・トリオ。このトリオはこれまでに何度聴いたことでしょうか。最初は1989年の「スウィート・ベイジル」でした。来年が20周年ということは、これが最初のライヴだったんでしょう。ニューヨークの人気ジャズ・クラブ「スウィート・ベイジル」の肝いりで年に一度、日本のゴールデン・ウィークにあたる1週間、このトリオは店がクローズするまで毎年出演していたと記憶しています。
GWはいつもニューヨークですから、このトリオの「スウィート・ベイジル」ライヴは一度も欠かさず、毎年観ていました。嬉しかったのは、アメリカのお客さんが多かったことです。ときどき、ニューヨークでも日本人アーティストがライヴをやっていましたが、そういうときは大半が日本人のお客さんで、「こんなに素晴らしい音楽をアメリカのひとに聴いてもらえないのは残念」と思うこともしばしばでした。
山下さんはアメリカ人の広報担当を雇い、積極的にアメリカのメディアに取りあげてもらっていました。その結果が、こういう形で実を結んだのでしょう。

昨日はそのトリオのツアー最終日で、ぼくも会場の「草月ホール」に行きました。予定ではテナー・サックスの川嶋哲郎さんがゲスト出演するはずでしたが、交通事故で足を怪我したとかで、トリオだけのコンサートになりました。川嶋さんには悪いですが、トリオの演奏がたっぷり聴けたのはよかったと思います。
20年ほど前に比べると、皆さん、見た目はそれなりの年齢になりました。とくにベースのセシル・マクビーはずいぶん老けたなぁという印象です。ぴちぴちしていたフェローン・アクラーフも、相変わらず若々しいものの、よく見るといい感じの中年になっていました。そういえば、その昔、彼がキープしていたボトルを勝手に飲んでしまったこともありましたっけ。ニューヨークのカラオケ・バーでのことで、もう覚えていないでしょうが。

このニューヨーク・トリオ、リーダーの山下さんのプレイもそうですが、ずいぶん聴きやすくなりました。思ったんですが、これ、ポルシェと同じです。ぼくはポルシェ好きで、ここ15年ほどで5台は乗り換えましたが、新しくなるたびに運転しやすくなってきます。最初のころは、クラッチが堅くて、足がつることもありました。それが新しくなるたび、一般の乗用車に近い運転のしやすさに変わってきました。それでも、相変わらず魅力的なので乗り続けています。
山下さんのトリオもそういう感じでした。「メモリー・イズ・ア・ファニー・シング」なんか、最高に美しいバラードで、トレードマークのしっちゃかめっちゃかなフレーズは一度も登場しません。元を正せば、山下さんはビル・エヴァンス派のピアニストでしたから、こういう演奏をしても魅力的です。
あと、岡本喜八監督が撮ろうと考えていた映画の主題曲も、とても美しく、儚いイメージがあって、大変気に入りました。この映画、監督が亡くなったため宙浮いているとのことですが、山下さんは、脚本を読んですぐに曲を書いたそうです。それだけ触発される何かがあったのでしょう。

山下さんとは、留学時代にあるひとから紹介されて、ニューヨークのジャズ・クラブを案内したのが縁になりました。そのときは、いろいろ考えて「ジャズ・マニア・ソサエティ」というジャズ・クラブでサン・ラのアーケストラを観たり、「インローズ」という、これまたソーホーにあったクラブでデヴィッド・マレイを聴きました。
拙宅にも来ていただいたり、ぼくの家族と一緒にチャイナ・タウンに食事に行ったりと、短い日数でしたが、あちらこちら引きずり回してしまいました。
このときの山下さんは、ジャマイカで初のピアノ・ソロによるレコーディングをするとかで、その構想を練るため、ヴァケーションを兼ねてニューヨークに来ていました。ところがそのソロ・ピアノ集がお蔵入りしたため、ぼくはレコーディングの邪魔をしちゃったんじゃないかと気にしていました。ずっとあとになって伺ったところ、別の理由があったことがわかりほっとしましたが。後年になって、このソロ・ピアノ集は発売されたはずです。
そんなことが頭の中を駆け巡っていました。アンコールで簡潔に演奏された「マイ・フェイヴァリット・シングス」まで、満足と納得ができるいいコンサートでした。そういえば、初めて気がついたことがあります。猫好きの山下さんが書いた「トリプル・キャッツ」が演奏されたときです。ピアノの弾き方なんですが、まるで猫が鍵盤をものすごい勢いで引っ掻いているように見えました。山下さんのタッチは猫タッチだったんですね。あと、セロニアス・モンクそっくりのタッチもあったりと、ライヴを観ていると感じるものが多々あるもんだと、いまさらながらに思いました。