
ゴンサロ・ルバルカバのライヴを観たのは久しぶりです。メンバーはサックスのYosvany Terry(ヨスヴァニー・テリー)、トランペットのMichael Rodriguez(マイケル・ロドリゲス)、ベースのMatt Brewer(マット・ブルーワー)、そしてドラムスのMarcus Gilmore(マーカス・ギルモア)の面々。マイケルとかマットとか、同じような名前ばかりで面白かったです。

演奏は、はなからラテン・テイストのものじゃないと思っていた通りの内容でした。楽器構成のせいか、1960年代のマイルス・デイヴィス・クインテットみたいな感じで、新主流派的なテーマやホーン・アンサンブルに特徴があります。それはそれで面白かったですが、ゴンサロのソロ・スペースが短く感じられ、そこに物足りなさも覚えました。
実際は、一番長くソロも弾いていたと思いますが、構成がよくなかったのかもしれません。どの曲でも肩透かしを食らわされるような感じでした。たとえば、ホーンがテーマを吹いて盛り上がり、さてゴンサロのソロかなと期待していると、一番手がベース・ソロだったり、その後にようやくゴンサロが登場しても、ばりばり弾くと思いきや、ポロンポロンとピアノを鳴らしたりと、こちらの思いとはかなり違う展開だったんですね。
内容は、悪いとは思いません。グループのサウンドを重視した演奏を期待していけば、満足できたでしょう。ぼくの場合は、ピアニストとして超絶技巧の持ち主であるゴンサロのイメージが強かったため、その点で物足りなさを覚えたということです。
でも、こちらの思いとミュージシャンの考えが一致しないことはよくあります。ぼくの期待ははぐらかされましたが、内容はとてもよかったです。ゴンサロは真面目なひと柄なので、そういう面も演奏やその音楽によく表されていました。グループのサウンドをとことん突き詰めているんでしょう。すると、こういう形になるんだろうなということがよくわかります。自分を前面に出すのではなく、グループの一員の徹する。その上でリーダーシップもきっちり発揮する。そういう音楽になっていました。

理詰めで来る演奏です。まるで詰め将棋を観ていた感じです。こう来ればこう行くしかない、みたいな必然的な演奏には、「今日は聴いたぞ」という充実した印象も一方で覚えました。自分が出す音を、その場で瞬時に突き詰めて、無駄を極力排除した音の連なり。これは、聴いていて快感を覚えるほどスリリングでした。きっとレニー・トリスターノもこういう感じでピアノを弾いていたんだろうな、なんて思いました。