昨日は「ブルーノト東京」でジョン・スコフィールドとジョー・ロヴァーノの共演を聴いてきました。このふたり、本当に名コンビです。どちらもいまやジャズ界を代表するプレイヤーですが、ふたりの飄々とした、そして真摯なまでに創造的なプレイに圧倒されてきました。
6月に出した『「決定! JAZZ黄金コンビはこれだ』でも、彼らのことを書いています。的外れかもしれませんが、ぼくはふたりにこんなことを感じています。ちょっと紹介させてください。
ジョン・スコフィールドとジョー・ロヴァーノは本当に仲がいい。親友といってもいいだろう。おひとよしで、音楽に夢中。演奏することが好きで好きで堪らないふたりである。そんな姿に近くで接していると、こちらまで気分がよくなってくる。ひとつの物事に打ち込んでいる姿は、ひとによってさまざまだが、神々しいこともあれば微笑を誘う場合もある。ときには滑稽に見えるときもあるが、いつだってこちらまで気持ちが晴れ晴れとすることに変わりはない。なにかに夢中になっているひとに接していやな気分になったことがない。スコフィールドとロヴァーノの場合も、別れたあとはいつもすがすがしい気分になっている。
この本には次のようなことも書いています。昨日のステージも同じように感じたので、引用しておきます。
正直にいって、ロヴァーノには「難しいプレイをするひと」のイメージがあった。ところがスコフィールドと一緒だと、「難しいプレイ」はそのままだが、それが必然的なフレーズで構成されていることがわかってきた。ここのところはうまく説明できない。スコフィールドのうねりが連続するくねくねしたフレーズに絡み、あるいは反対に絡まれる場面に接し、これほどプレイを補完し合っているコンビはないと感じたのかもしれない。
視覚効果も大きい。CDでそう感じていたものが、ライヴで至近距離から彼らのプレイを聴き、その思いをいっそう強くした。ステージではふたりがフロントの右と左に立ち、どちらも体を前後左右に揺らしながらプレイする。あるときから気がついたのだが、その動きが実に自然で、しかもぴたりと合っていた。
勝手な憶測だが、それが気持ちをひとつにしていることの表れに思われてならない。ロヴァーノはサックスを吹いていないときでもスコフィールドのプレイに耳を集中させ、彼と同じように体を揺らしている。その没入の仕方がとても気持ちよく受け止められた。
昨日はロヴァーノが吹いている面白いサックスも目の前で見せてもらいました。ソプラノ・サックス2本をつないだものです。ベルギーの職人によるカスタム・メイドだそうです。最近ケースができたのでツアーにも持ってこれるようになったといっていました。
このサックス、キーもダブルになっていて、黒いキーを押すと左側、金属のキーを押すと右側(反対かもしれませんが)のサックスが鳴ります。両方を押せばユニゾンです。実は、サックには正式な名称もあって、教えてもらったのですが忘れました。ガンサー・シュラーのオーケストラと組んだアルバムのラストで、このサックスを吹いているそうです。
ところで一度だけですが、その羨ましい仲のよさをおすそ分けしてもらおうと、ぼくがプロデュースする作品でふたりに演奏してもらったことがあります。スコフィールドがブルーノートから発表した1作目にして、ロヴァーノとの初共演を記録した『ギタリストの肖像』でプロデューサーを務めたピーター・アースキンのリーダー作『スウィート・ソウル』(Novus-J)がそれです。アースキンがふたりと大の親友だったことから、このときはいくつかの曲に加わってもらいました。
スコフィールド・カルテットの2作目となった『心象』を吹き込んだのが1990年12月のこと。ふたりがゲスト参加した『スウィート・ソウル』は翌年3月の録音です。そして3作目になる『ホワイ・ウィ・ドゥ』が92年9月に録音され、レコーディング上での活動には終止符が打たれました。
その後のジャズにはいろいろなことが起こりましたが、スタイル的にそれほどの変化はないように思います。スコフィールドとロヴァーノの共演も、以前のイメージとダブるところが多く、基本的にはブルーノートの作品で聴いたサウンドや音楽性に通じていたのではないでしょうか。それでも、どこからどう聴いても現代のジャズでした。それは、彼らがこの間にも自分のスタイルを曲げることなくジャズの最前線で創造的な演奏を続けてきたことのなりよりの証です。
最近は、「継続は力なり」という言葉を改めて実感することが多くなりました。ふたりの場合は少し意味合いが異なるでしょうが、やっぱりこの言葉に通じるものを強く感じています。そしてなにより、ぼく自身ずっと音楽を聴き続けてきたことでなにかの力を得ているのかもしれません。このグループは一時的に結成したものとのことですが、「もったいないから、ときどきはライヴ活動するかレコーディングしてください」と頼んでおきました。
昔は年に何度も会っていたスコフィールドとロヴァーノですが、このところはタイミングが合わず、すっかりご無沙汰でした。彼らの演奏を聴き、久々に言葉を交わし、昔と同じでようにすがしい気分で家に帰ってきました。